「春は様々なものが芽吹く時」と言われています。
木の芽が息吹く頃、精神的に不安定になることを昔の人は「木の芽時」と表現していて、その原因は、春の寒暖差に自律神経が対応できなくなり体調不良をおこすことではないかと言われています。
寒暖差だけでなく、新学期のクラス替えや新年度の人事異動など、春には「新しい生活」が始まり「新しい人間関係」も作られていくことで、変わっていく環境に心と体がとまどいやすい時期です。
「春は恋の季節」との言葉もあって、春は日が長くなって暖かくなり気分が浮かれがちな季節…というイメージもありますが、実際には花粉症も相まって、春は意外と【気分良く】過ごしにくい季節かもしれません。
しかし、心も体も敏感になりやすい季節だからこそ、いくつになってもずっと心に残って励みとなるような思い出が作りやすい季節でもあるのでは?春になるたび記憶がよみがえるステキな思い出があれば、春の訪れをもう少し前向きに捉えられるのかも。
といったことで今回は、二人それぞれの【春の思い出】を紹介したいと思います。
- 阪本和樹 【SWEET 14 BLUES】
僕は毎年春になると、安中にある西毛運動公園の桜を見に行きます。有名な桜の名所ではないのですが、ここは中学3年生の時、担任の先生だった岡田朝夫先生がホームルームの時間にお花見に連れてきてくれた場所なのです。
岡田先生は、僕のありのままを家族以外で一番最初に認めてくれた人でした。
幼少期より感性が女の子寄りで、小学生の時には「おかまずき」なんてセンスの欠片も無いアダ名を付けられる始末。
通信簿には「女の子とだけではなく、もっと男の子とも遊びましょう」なんて書かれ、
『自分はフツーの男の子とは違うんだ。自分を理解してくれない、狭い田舎の世界から早く出て行きたい!』
なんて小学生だてらに窮屈な思いを抱えておりました。
でも岡田先生は
『“自分らしく”そのままでいていいんだよ』
と初めて言ってくれた先生でした。
『さかもっちゃんは子どものまんまの純粋さを今も持っている反面、もう“自分”というものがはっきりと確立してて、そのぶん周りのみんなより大人なんだよ。だから、高校・大学に入って周りも自我がはっきりしてきたら、きっとさかもっちゃんを理解してくれる友達ができるよ』
とはみ出し者の僕を励ましてくれました。
先生の言葉どおり、僕は高校生になってから初めて“友達とは何ぞや”ということを理解できるようになったし、その後も歳を重ねるごとにステキな出会いをたくさん経験できるようになりました。
中学3年生。
“大人”と“子ども”の間で大きく心が揺れ動き、生まれて初めて自分で進路を決めなくてはいけない、人生で最も敏感な時期。そんな大事な時期に岡田先生が担任になってくれたから、きっと僕は今、自分に自信を持って【気分良く】生きていられるのでしょう。
時は1996年春。
渋谷の街を“アムラー”なる女子高生のギャル集団が闊歩し始め、森クンがSMAPからの脱退を表明した、あの時代。
僕が岡田先生のクラスの生徒だったのは年々遠い日の思い出になっていくけれど、西毛運動公園の桜を見ると、瞬時に【3年6組・阪本和樹】に戻れる気分になるのです。 - 笹川和希 【野草を天ぷらにして食べる会(仮称)】
今回は「春の思い出について」ということですが、私は野草のイメージが残っています。
皆さんは「春の七草」をご存知でしょうか。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。以上7種の植物を春の七草とし、1月に粥などで食べるのです。
スズナ、スズシロ、ナズナという名前から想像しにくいですが、それぞれカブ、ダイコン、ぺんぺん草のことです。
それを小学生の頃、学校の授業で知り、非常に感動しました。
ぺんぺん草は食べられるんだ、と。
僕は興奮を抑えきれずA君と話し、ぺんぺん草はどんな味がするんだろうと話は非常に盛り上がりました。
すると休日にA君のお母さん協力の下、野草を天ぷらにして食べる会(仮称)が開かれることになったのです。
当日、会場であるA君宅ではツクシやぺんぺん草、その他見覚えのない草。
そして油と天ぷら生地が用意され、揚げたての野草を食べる準備が整っていました。
なんと、デザートに大福まで用意してある豪華さです。
開催宣言はありませんが、A君とドリンクを乾杯し、何かの草に生地をつけ、揚げて食べる。初めての経験に感動しながらも食べすすめ、僕とA君は楽しい時間を過ごすことができました。
大福が一番おいしかったです。
……………
枕草子でも書かれているように、春は夜明けが早くなり明るさも増してきているようで、春の朝の情景は心を軽くしてくれます。
いつもより少しだけ早起きして、外に出て、思い切り深呼吸してみたら…
どこかでちいさい春が、生まれているのに気づくかも。